何よりも国民にわかりやすい、「生きる」「食べる」「暮らす」の向上が大切 ――。
バリアフリー住宅、公害対策、そして生命工学(バイオテクノロジー)産業の推進。
経済産業省時代、浜田が多様な分野の仕事を成し遂げる中で、
培い、鍛え上げてきた政策の柱、といえよう。
「庶民、生活者、そして弱い人たちの味方でありたい」
大いなる飛躍を目指す浜田の胸には、そうした願いが、強く確かに脈打っている。
 ◎ バリアフリー住宅の原点に、この人 ―――――  住宅産業課 1981.6

 今から23年前、「バリアフリー」(障害物なし)という言葉も、まだ普及していなかった頃の日本。障害者は、健常者とは離れて暮らし、福祉施設や老人ホームなどに隔離することが当然のように考えられていた時代。もちろん、「健常者も障害者も共に暮らすバリアフリー住宅」などという構想は影も形もなく、住宅メーカーや住宅設備メーカーに、そのノウハウがあるはずがなかった。
 「障害者と健常者が共に暮らす家は、実現できないか」
 浜田は、大学や住宅メーカーの研究者、福祉関連の有識者に呼びかけ、連日集まってもらい、さまざまな工夫やアイデアを出し合った。そしてそれは、障害者が移動しやすいリフター(障害者吊り下げ機)や住宅用エレベータ、バリアフリーのお風呂やキッチンなどを完備した「福祉モデルハウス」の提案へと結実していった。
 1983年、ついに国内で初めて「福祉モデル住宅」が筑波に完成。「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」の原点となり、建設に参加した住宅メーカーや設備メーカーが続々と商品化に成功していく。「どこまでも人にやさしい」浜田の実績として、今も輝きを放っている。