何よりも国民にわかりやすい、「生きる」「食べる」「暮らす」の向上が大切 ――。
バリアフリー住宅、公害対策、そして生命工学(バイオテクノロジー)産業の推進。
経済産業省時代、浜田が多様な分野の仕事を成し遂げる中で、
培い、鍛え上げてきた政策の柱、といえよう。
「庶民、生活者、そして弱い人たちの味方でありたい」
大いなる飛躍を目指す浜田の胸には、そうした願いが、強く確かに脈打っている。
 ◎ 後手後手の公害対策を抜本 ―――――  化学物質総合安全管理推進室長 1998.6

 1970年代有機水銀は水俣病を、カドミウムはイタイイタイ病を発生させた恐るべき有害化学物質として嫌われ、遠ざけられてきた。しかし、健康被害が生じてから規制対象を拡大するという日本の公害対策も、後手後手の対処療法でしかなかった。
 浜田が、化学物質総合安全管理推進室長を務めていた当時、欧米で普及し始めたPRTR(汚染物質排出・移動登録)制度は、企業自身に有害物質の管理を義務付けるという抜本的対策で、日本での導入が熱望され始めた。
 しかし、具体的な法律の中身を議論するとなると、情報公開に消極的な産業界と、必要以上に情報公開を求める市民団体とが互いに譲らず、平行線をたどり、一時暗礁に乗り上げた。
 浜田は、「300物質を超える多様な化学物質を、企業がどう管理するか、その創意工夫が大切」との思いから、環境省(旧環境庁)とも連携、両者の説得へ奔走に次ぐ奔走。ついに法案を作成。制定された法律は日本で初めて、人間だけでなく生態系への有害性も考慮する、画期的な制度であった。「人だけでなく、環境にもやさしい」浜田の活躍が、実を結んだ瞬間だった