「バイオテクノロジー戦略大綱」の求めるもの
経済産業省生物化学産業課長 濱田昌良(浜田まさよし)

[2003年6月8日 学士会館]
 皆さんこんにちは.今日は新たにNPO法人になられた日本バイオ技術教育学会の平成15年度総会にお招きいただきましてありがとうございます.総会に先だって学会事務局のほうから,先ごろ策定されました国の「バイオテクノロジー戦略大綱」を皆さんにご紹介しながらお話するようおおせつかりましたので,お手元にお配りした資料などを眺めながらお付き合いくださいますと幸いです.
 本日はまず最初に,今日この場にご出席の大勢の日本バイオ技術学会の若い会員の皆様方に大いに期待しているということをお伝えしてから始めさせていただこうと存じます.といいますのも,この政府のBT政策の大きな柱の一つはバイオ技術を支える人材供給という若年者の雇用対策でもあるからなのです.皆さんのように専門的なバイオの勉強をされている方たちにとっては雇用についてあまり不安になる必要はないのですが,わが国の失業率は約5.4%で,これを15〜24歳までに限定すると完全失業率は10%にもなっています.たとえばフリーターとか定職を持たないで在宅している人まで加えると,その数は14%にまで上ります.ところでこのフリーター数を見てみますと,私が就職した1982年ごろには50万人程度でしたものが,現在では200万人とも言われています.フリーター人口が多いという事は単に個人の職業選択の自由という問題だけではなく,わが国全体の大きな労働力をより高度化して新しい技術や技能をもった人を育てていくという観点からすると,たいへん大きな問題となっているのです.わが国は少子高齢化が進んでいて,労働力自体が減少しているのですから,これは深刻です.
 こういった社会状況の中で,今日お集まりの若い学生の方々はまさに金の卵,プラチナの卵のような存在なのです.皆さん一人一人に優れた能力と意欲を持って社会参加していただかないと今以上のわが国の生産性などは維持できなくなってしまいます.そこでちょうど今,経済産業省,文部科学省,厚生労働省,金融省の四省庁が,この若年者の雇用対策についてのとりまとめをしようとしています.こういった状況下にありますので,私どももバイオテクノロジー分野への人材確保という位置づけをしっかりとしていきたいと思っています.

BT(バイオテクノロジー)戦略会議の始動

 というところで本題に入りましょう.このバイオテクノロジー(BT)戦略大綱というものは,内閣総理大臣をはじめとして内閣官房長官,科学技術政策担当大臣,文部科学大臣,厚生労働大臣,農林水産大臣,経済産業大臣,環境大臣の閣僚と各界の有識者12名から構成されており,座長には大阪大学総長の岸本忠三先生が就任されております.この会議はバイオ研究の促進だけをメインのテーマにはしておりません.というのは,今までのバイオ研究というものはその成果を求めても,時間がかかってなかなかその結果が見えなかったのですね.1980年代から「21世紀はバイオの時代」とばかりに大きなかけごえのもと,予算を次次に投入してきましたがなかなか産業化には結びつきませんでした.ですから今回の戟略会議の設立目的は,このバイオ研究成果を産業化していこうとするものなのです.そしてこの会議は日本バイオ産業人会議世話人代表の歌田勝弘さん,社団法人日本経済団体連合会産業技術委員会委員長の庄山悦彦さんのお二人が中心となられてこの時期にお作りになられたのです.平成14年7月には第1回会議が開催されています.ではなぜこの時期にBT戦略会議を作らなくてはいけなかったのかということについて次にお話しましょう.

第2次バイオブームをめぐる国家間の競争の激化

 現在のバイオの歴史は,今からちょうど50年前の1953年にワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見したというサイエンスをベースに,続いて30年前の1973年にはコーエンとポイヤーがアメリカで遺伝子組換え技術確立した,いわばテクノロジーとしてのベースにその始まりがあります.その時から多種多様なべンチャーができています.たとえば当時のベンチャー第1号のジェネンテックなどは,ご存知のようにもう押しも押されぬ大企業になっています.わが国はというと,1980年ごろに当時の通産省に生物科学産業課というバイオ担当部署が作られています.大手企業のバイオへの進出もちょうどこの頃だったと思います.この時期を第1次バイオブームと呼んでいますが,この頃の研究というと,これはまさに遺伝子の時代で,いってみれば「ここにおもしろいタンパク質−インターフェロンやインスリン−があるから,大腸菌の遺伝子組換えをしてこのタンパクを大量に作りだそう」という時代だったのですね.
 ところが,2000年以降になって大きくこの様相が変わり始めたのです.なぜかというと,遺伝子の時代がゲノムの時代になってきたからなのです.ゲノム(genome)という用語は遺伝子(gene)の語尾に-omeという接尾語がついたもので,この-omeは「すべての」を表す言葉です.つまり「すべての遺伝子」を探り出そうという時代になったのです.そしてゲノム研究が進んで,ヒトの遺伝子もその全てが解明されてしまいました.このように一応,構造的にわかってしまったゲノムに対してその機能的な解明を特許化しようという状況がまさに第2次バイオブームであろうと思います.すなわち「ゲノム解読後の特許獲得競争の激化」とでもいいましょうか.この風潮を最初に取り入れたのはアメリカです.アメリカのNIH(National Institute of Health)は世界最大の健康関係の研究機関ですが,アメリカはここの研究予算を1998年から2003年までの5年間で倍増してしまったのです.国家予算からのみならず,民間からの資金提供も大量に入りこみました.
 この頃わが国ではどうだったのかといいますと,2000年に小渕前総理大臣が,わが国の21世紀に向けた大きな研究開発を目的にミレニアム予算,ミレニアムプロジェクトを設定したのです.これはたいへん大きな意義がありました.すなわち全体で1.2兆円の研究費総額の半分がライフサイエンスにあてられたからなのです.そしてこのミレニアムは各省庁間の枠というか壁を取り払って圧倒的にバイオを優遇したというはじめての予算でもありました.今回のBT戦略構想というものも,まさにこのミレニアムの考えかたを継承するたいへん有意義なものであるわけです.

バイオ産業における特許の重要性

 次にこのバイオ産業において,いかに特許が重要な位置を占めるかについてお話しましょう.なぜ特許がそれほど重要なのかということを図1にまとめました.これは製薬工業会の資料をつかわさせていただいています.比較用として自動車・家電製品の特許イメージを示していますが,これらの工業製品の特許関係をみてみますと,そこには部品がたくさんありそれぞれに特許がついていますね.黒い丸は他社の特許で白い丸が自社特許です.この分野では製品化においてはパテントプールしようとか,クロスライセンスしようということで,他社である一つの特許を持っていても製品化においてはほとんど支障にはならないのです.
 ところが医薬品では,基本物質に関する基本特許と取られてしまうと製品化にあたってなかなかカバーしづらくなってしまうのです.しかし基本特許が押さえられているからとあきらめてしまうこともないのです.医薬品については,製品化しようとするその周辺の用途特許や周辺特許をすべておさえてしまえば,この基本特許のみでは生きてこないわけなのです.つまり商業化できないわけです.このような方式で有利な関係を保ちつつライセンシーを受けて製品化している企業がたくさんあります.一概には言えないのですが,全般的にバイオの場合はこの基本特許の持つ意味合いは大きいといえます.



わが国のバイオ特許


 ではわが国ではバイオの,どの分野の特許が強いのかを検討してみましょう.図2に1990年から1998年までの9年間に世界中で出願された特許数を見たものです.全体の半数をアメリカがもっており,ヨーロッパと日本が2割ずつ,その他が残りとなっています.特許の技術分野を見ますと,バイオテクノロジーの基幹技術は遺伝子組換え,遺伝子解析,発生工学,タンパク工学,糖鎖工学,バイオインフォマテイクスといったキーワードでくくれるものに分類されています.この技術分野のうち,特許出願件数は圧倒的に遺伝子組換えや遺伝子解析などが多いのですが,新しい分野である糖鎖工学やバイオインフォマテイクスなどは件数的には少ないかもしれませんが,全体の出願件数の半分をわが国が持っているのです.ですから日本はこの分野に力を傾注すべきだと思いますが,これは予断を許しません.といいますのも最新のデータを詳細に見ますと,この分野に中国が鋭く進出してきているからです.したがって油断することなく今以上の努力をしていくべきというところでしょうか.
 次に忘れてならないもう一つの日本のお家芸といいますか,微生物関係の特許があります.わが国では古くから味噌や醤油製造のような微生物を利用した伝統的な分野から発展してきて,食品関係をはじめ環境,医薬品などの応用分野にこの微生物特許が認められております.わが国の微生物特許出願数を見ますと,アメリカやヨーロッパの2倍の出願数を誇っているのです.ではわが国の研究者がなぜこのように微生物分野に強いのかといいますと,「テクニック」「創造性」「研究者の勘」の三つが見事に揃った優れた研究者が大勢いるということにつきます.バイオでは数少ない有望な日本が活躍できる分野であると思います.




日本,アメリカ,ヨーロッパの許出願者を比較する

 それではこれらの特許は,どういった組織なり出願者なりが所有しているのでしょうか?図3に示したように,アメリカではこのような特許はほとんどを大学・公的機関とベンチャー企業が所有しています.ところがわが国とヨーロッパは特許のほとんどを大手企業が所有しているのですね.この大手企業所有の特許分野の内訳を見てみますと,ヨーロッパでは医薬品企業がほとんどですが,わが国は医薬品企業,化学企業,食品企業,機械メーカーなどがバイオの特許をそれぞれに所有しています.これは日本の特色かもしれません.
 またわが国の将来的なバイオ戦略の議論をする際には,「アメリカの後追いをしても展望は開けない.アメリカにはない日本の強みを持った日本独自の戦略とは何か」ということが話題になります.そうした議論から,わが国は特許所有企業が多様にわたる,すなわちバラエティーに富んだバイオ産業を開発の裾野としてもっているわけですから,これをベースにした新しい日本のバイオ産業像をつくろうという方向が示唆されてきたのです.たとえばアメリカにはメガファーマーとして,メルタやファイザーがあって,これらの企業は三兆円企業なのですね.余談ですがわが国のトップ製薬企業は世界的には15位くらいの位置づけがされていますが,これらの三兆円企業とは大きく格差があります.
 アメリカでは,これらの三兆円企業が存在する一方,ベンチャーや大学発ベンチャーが何か面白い研究をして企業化できると,大手企業がその研究を買い取ってしまいます.そしてこの企業の経営者たちは次の目新しいベンチャーを求めるというアメリカモデルがうまく回転しているのです.わが国がこういったアメリカモデルをまねようとしてもなかなかうまくいかないわけで,そこでわが国は独自のバイオツールやバイオインフォマテイクスをいかしたジャパンモデルを構築しようというのが今回の戦略でもあります.




世界のBT戦略の推進状況

 ではここで世界のバイオ戦略の動向についてみてみましょう.まずアメリカですが,1999年にゲノムイニシアチブというものを作り,国を上げて開発と産業化を推進しています.さきほどアメリカはNIHに研究予算を三兆円も投入しているといいましたが,実は現在のそれに見合うマーケットはそれほど大きなものではありません.いわゆるワイン製造といったオールドパイオを除いたニューバイオだけを見ますと,このアメリカでもマーケットは三兆円程度しかありません.これはあまり引き合わない予算投入ですね.ではアメリカは何を考えているのかといえば,これからの将来的なマーケットの成長を見込んでいるのです.今資金を投下して多くの基本特許をとっておけば,将来には世界全体で二百何十兆円もの市場に成長させることが可能といわれているからなのです.
 ヨーロッパはどうでしょうか.EUという新しい共同体を形成したため,特許にしろ,それぞれの国のいろいろな政策を合わせようと言う観点から2001年1月に統合した戦略を策定しています.
 わが国は1999年5月に5省庁・閣僚によるBT推進の申し合わせに端を発し,現在のBT戦略大綱のもと,わが国の一兆円マーケットに対応しようとしているのです.ちなみにヨーロッパの市場規模は二兆円と言われています.

BT戦略における将来目標

 簡単な表現でいってしまいますと,このBT戦略大綱の中心課題は,「生きる」「食べる」「暮らす」の向上ということになります.図4をご覧下さい.
 まず「生きる」というテーマについてですが,わが国は世界に誇る長寿国です.ところが逆に長寿であるがために医療費がかさむことになってしまい,それが何か困った要因を作っているような雰囲気さえ生まれています.このような誤解を取り去る,たとえばバイオ技術によって長寿になっても医療費があまりかからないような状況は作り出せるのです.つまり,医療そのものを治療ではなくバイオ技術を駆使した予防医学や診断を中心とした方向に向けていけば,医療費の抑制につながっていくのです.
 つぎに「食べる」という食料の供給について考えてみましょう.わが国の食料自給率を見てみると,これはもう驚くばかりです.ちょっと前には60%ほどあった自給率が今では40%を切っているのです.もしわが国も食料の自給をしなくてはならないような状況になったとしたら,この狭い国土でどうやって食料確保をしたらいいのでしょうか.ところがヨーロッパなどではこの自給率には力を入れていて,年々その数値がアップしてきています.この食料の自給率を上げていくためにはバイオ技術が求められますが,たとえば遺伝子組換え技術などをどのように使っていくかたいへん難しい問題があります.今この遺伝子組換え作物をどう位置付けていくべきか,「国民的理解の徹底的浸透」をはかるような努力が必要です.これはたとえばヒトクローンなどの問題でも,再生医療のためには必要不可欠ですし,十分な論議と理解が必要です.今日ここに出席されている若い世代の方々にも,ぜひともこのバイオが抱える難しい点などについてわかりやすく国民に伝えるような分野に積極的に参加していっていただければと思います.
 最後に「暮らす」という環境・エネルギー分野について考えてみましょう.ご存知のように経済が成長すればするほど,石油などの化石資源を大量に消費し,その結果CO2排出量が増えてしまいますね.ニ酸化炭素排出に関する京都議定書には,わが国は1990年時点のCO2排出量から6%の削減が求められているのです.しかしこれは減るどころか,逆に増えてしまっています.ではCO2削減のためには原子力発電を止めれば良いのかというとそうではない,やはり一定の生活の質を落とさずにCO2削減をしていかなくてはならないのです.そこでCO2削減をするためにバイオ技術を使おうということになるのです.
 以上のように,21世紀の「生きる」「食べる」「暮らす」の向上をはかるためには,サイエンスベースで50年,テクノロジーベースで30年ほどのバイオテクノロジーを利用しようということをお話してきました.この三つの目標を実際に牽引するのが,バイオ医療産業,バイオ食料産業,バイオ環境・バイオプロセス産業という新しい産業です.これらの新しい産業は2010年には総額25兆円,雇用創出100万人を目指しています.そしてこの要件を満たすためには,バイオツール・バイオ情報産業に重点をおいてみていく必要がちります.この産業はたとえば分析機器の製造であったり,試薬であったりするソフト部分ですね.皆さんも日常的に見なれているようなものも多いと思いますが,この部分の産業が日本の強みになるのだと思います.そもそもわが国はこの分野の産業は世界的に強いのですが,現状は輸入品比率のほうが高くなっているのです.バイオ系の分析機器ですと国産が4割で,残りの6割は輸入品なのです.また試薬に至っては8割が輸入品です.この状況を国産主力に変えていこうとすることによって,産業全体がより強固に変わっていけるのだと考えることが必要です.今回のBT戦略をまとめる起草委貞会の委員長は一橋大学の伊丹敏之先生という商学部の先生なのですが,このバイオツール・情報産業をマザーインダストリー,すなわち母なる産業であると命名されました.これはどういうことかといいますと,かつてわが国は機械産業,工作機械に強かったので,あらゆる機械製造に秀でていたのです.これと同様にバイオも,バイオツール・情報産業を強くすることによってバイオ全体を強くするという考えかたをしていこうということなのです.先ほども言いましたが,日本の医薬品産業や食料品産業は必ずしも世界のトップではない.しかしこのバイオツール・情報産業を強くすることによってもっと上に押し上げて行こうというのがこの戦略でもあるのです.




バイオ医療産業の将来と課題

 それでは今までお話してきた新バイオ産業の2010年までの目標について個別に検討したり紹介したりしましょう.まずはバイオ医療産業から。
 ここではまず医療費の問題を考えてみましょう.現在の国民医療費は30兆円で,このままいくと厚生労働省の試算では2010年には46兆円にまで膨れ上がってしまいます.これは何とかしなくてはならない数字です.ということでここにバイオ医療産業が登場してこの医療費の適正化をはかろうと計画されているのです,技術のブレークスルーとしての予防医学,テイラーメイド医療,再生医療などによってむしろ医療費が減るはずだと考えられています.具体的にはガンの治癒率のアップや寝たきり老人の半減などがあげられます.またこれ以外に健康長寿化によって医療費を合理化する,すなわち高血圧,糖尿病,神経疾患などの患者が2割減れば3〜5兆円の医療費が減るということも計画されています.したがってこれらの疾患にかかっている患者を2割減らしていこうということが大きな目標にもなっています.ただしそのためには,バイオ医療産業のマーケットが大きく変わってくると思います.すなわち医療の現状は,治療中心ですからマーケットは病気の方ばかり向いています.ところが来るべき2010年には,早期診断と予防が中心になりますから,マーケットは国民全体ということになるのです.健康な方々がマーケットになるわけですからこの市場規模はたいへん大きなものになるのです.そしてこれは従来が病気の方々に大きな負担を強いてきたシステムから,健康人達の軽い負担へと変化します.また産業側も,現在のような病院,医薬品中心ということではなく,DNAチップやシークエンサー,タンパクの解析装置などをベースにした健康サービス,健康管理サービスというような会社がこれらの分野の中心になっていくと思われます.
 今まで申し上げてきました内容をどう美現していくのかという行動計画はすでにできあがっています.すなわち,産業プロセスの抜本的強化にあたっては,新技術への投資促進やBT革新を促すような薬価制度や医療保険制度の見なおしと運用の見なおしをしようというこです.またわが国の医療保険制度というのはたいへん優れた制度であるにもかかわらず,一部の人達はアメリカまで行って巨額な費用を支払って治療を受けています.この治療内容は特に再生医療などの先端医療分野ですから,自由診療となるわけです.私達が通常受診するのは保険診療です.治療にあたってはこの両者を混合してはいけないことになっているのですが,そろそろ見直してはどうかというような状況にもなってきています.
 次に再生医療などについては,そのガイドラインや遺伝情報の保護などについてのルールをきちんと確立していかないと思わぬ問題が起こってきます.すなわち遺伝情報のリークがあったりすると,差別が起きる可能性があります.事実,海外の保険会社などでは,一定の遺伝子診断を義務付けて,その結果によって保険料に段階を設定するようなところも出てきているのです.またヒトクローンは絶対禁止であるとしながらも,一方再生医療のための遺伝子や細胞の研究は認めるようにうまく分けて議論していかないとたいへん偏った議論になる可能性があります.このヒトクローンについては,国連で国際条約を作ろうとしていますが,アメリカ,イタリア,ヴァチカンの三国が反対しています.なぜかというと,この三国は「何が何でもヒトクローンは禁止で,ヒトの遺伝子や細胞をさわるなど認めない.これには例外はない」と徹底しているのです.
 しかし今後は国際的な場を通じて,ヒトクローン等は禁止しながらも再生医療のための遺伝子や細胞の利用は認めていく方向が必要かと思います.

バイオ食料産業の将来と課題

 先ほども申し上げましたが,わが国の食料自給率は40%台になっています.この食料自給率を上昇させようとしても,ここには難しい問題が横たわっているのです.簡単に言ってしまいますと,それは一般的に食品を見るとき,「遺伝子組換え作物はいやだな」という印象が根強くあるということなのです.ところが医薬品では遺伝子組換え製品などは当たり前ですね.そうです,バイオ薬品がたくさん市販されたり投薬されたりしています.遺伝子組換え薬品だから服用しないなどという人は誰もいません.それはその薬品にべネフィットがあるからなのです.このことにならって食品でも医薬品と同じように機能性食品の開発からバイオ技術を応用していけばよいのではないでしょうか.たとえば,「花粉症を予防できるお米」とか大きなメリットが派生する遺伝子組換え作物ならば,抵抗なく一般に広まりますね.特に今までの遺伝子組換え作物の作成は,農薬をまかなくてもいい作物とか多量の農薬をまいてもかまわない作物とかの生産者側のメリットのみを追っていました.こういった発想の遺伝子組換えではなく,消費者にとって格別においしいとか病気が治るとかの観点から考えていくことが大事です.先ほどヨーロッパの食料自給率が上昇していると申しましたが,実はヨーロッパでも遺伝子組換え作物に対する国民の拒否反応が強く,たいへんな苦労をしているとのことです.たまたまヨーロッパからの視察団に対して今述べたような事をお話しましたらたいへん感心しておりました.ということで,わが国のバイオ戦略における食料産業はこの機能性食品の開発で行こうということを打ち出しています.また化学品を使った農薬に代わる微生物農薬とか微生物肥料の開発などもあげられています.

バイオ環境・バイオプロセス産業の将来と課題

 わが国のエネルギー自給率は20%,しかも石油依存度が52%とどうしようもない状態にあることをまず申し上げておきます.そしてこの石油は中東に依存しています.イラク戦争は短期間で終結しましたが,わが国は中束における政情不安や戦争が長期化したりすると非常に危険な状況を迎えるという脆弱な経済構造を持っています.こういったエネルギー問題に対してBT戦略では次の三つが提案されています.
 まず一つ目はバイオマスエネルギーですが,これは1980年の第1次バイオブームでもかなり実施されたのですがほとんど失敗しました.それはわが国は,国土が狭いからバイオマスエネルギー活用をしようとしても引き合わないからなのです.これができるのはブラジルとかアメリカです.しかし現在はこのバイオマスエネルギー活用の方法がだいぶ変わってきました.変わってきた一つに利用する微生物の遺伝子組換えがうまくいったという大きなベースがありますが,リサイクルの進んだことがあげられます.すなわち食物や食品残さ,建築廃材などがすべて規制されて回収しなくてはならなくなった.こういった回収を行うには狭い国土のほうが好都合です.また建築廃材などは1トン当たり1万円の回収費用がもらえるのです.このような一定の補助条件を出せば,結果としてエタノールが1リットル40円で製造可能となります.
 二つ目はこれだけ環境意識が高まってきますと,石油からプラスチックを製造するのではなく,植物そのものからプラスチックを製造しようという動きが出てきました.植物由来,つまりCO2を固定した植物からプラスチックを作り,しかもそのプラスチックは廃棄物として捨てられてもきちんとした物理的なリサイクルのあとで再利用されたり,化学的なリサイクルや熱を利用したリサイクルを受けることが出来ます.しかも再利用できる面があるため,大いに注目されています.世界的な食品メーカーであるカーギルと化学メーカーのダウが作ったカーギル・ダウという企業は,トウモロコシのくずをベースにして作ったポリ乳酸というプラスチックがあります.これはポリスチレンに似たような性状ですが,ポリスチレン樹脂は1kg当たり100円くらいなのですが,このポリ乳酸は300円くらいになります.まあ金額的には割高なのですが,ソニーのウォークマンの躯体やトヨタ自動車の車の内装などに使用されはじめています.しかしこのポリ乳酸はプラスチックとしてはポリスチレンのように硬いので,もう少し柔らかいものを作ろうと,ポリプチレンヘキサン(エフネトール)といいますが,これを石油以外から作る技術が三菱化学や味の素が開発しています.
 三つ目は高機能化学品の開発です.わが国は微生物特許が強いうえに樹脂を加工したり繊維化するような技術もたいへん強いのです.アメリカのカーギルやダウなどから,ヨーロッパの企業ではなく日本の企業と組んで開発にあたりたいという話しもたくさん来ております.ですからこれからは1千数百万トンあるわが国の樹脂の1割程度がバイオを通して製造されるのではないかと思われます.さらに高機能性化学品であるアクリルアミノ製造のプロセスを化学法からバイオ法に変えたことに留まらず,最近では耐熱性や耐油性であるような微生物の改良がなされております.
 以上のようないろいろな技術によって産業が発展し生産量が上昇していく面とともに,最終的にはCO2排出量の削減へとつなげていこうと考えております.さらにこのCO2削減についてはクリーン開発メカニズム(CDM)の推進が提案されています.このCDMというのは,たとえばポリ乳酸を建築廃材のみから作ろうとすると作れないことはありませんが,まだ技術的には先の話になってしまうかもしれません.そうすると当面はアメリカなどの大規模農場などまで行ってそこでトウモロコシくずから作るほうが得策だと思います.となると日本のCO2排出とは関係がないということになりますが,海外の国と協力してCO2削減できたとすると日本のCO2排出量を減らしたことになるのです.こういうメカニズムをCDMと呼んでいます.これを視野に入れてトヨタ自動車では,インドネシアや南米でポリ乳酸を製造してその分日本のCO2排出量を減少させているということなのです.

バイオツール・情報産業の将来と課題

 最後にバイオツール関係についてお話しましょう.この産業の目標設定としては,アフィメトリックス社のDNAチップなどの現在の定価を千分の一程度の数百円,数十円程度の価格まで下げるような展開を考えております.しかしこのようないわゆる物作り力はいずれ韓国や台湾などに追いつかれます.ですから情報産業もそうですが,それをコンテンツの力の方向に変える必要があります.つまり同じチップを作るのであれば,どのDNAを乗せればいいのかとか,タンパク質のプロファイルであればどのようなプロファイルになったときC型肝炎なのかがわかるソフト力を早くつけてしまえばいいのです.そのためにはC型肝炎,高血圧,リウマチなどの臨床遺伝子データのデータベース化のような臨床インフォマテイクスというプロジェクトを立ち上げればいいのです.
 はしょってまいりましたが,以上で四つの新バイオ産業の紹介を終えて,まとめに入りましょう.

バイオクラスターの紹介

 図5にバイオクラスターと呼んでいますが,日本に約300社あるベンチャーを日本地図にプロットしたものです.やはり関東に集中する傾向がありますね.ベンチャーが発展していくためにはこういったクラスターの存在が必要です.というのはやはり大学などの研究成果を使って行くのがベンチャーにとっては早道ですから.さらにこのベンチャーが育っていくためには資金や販路が必要になりますから大手企業との連携も不可欠となります.そのような意味からクラスターの位置づけができます.




BT戦略大綱の構成と主要項目

 今申し上げたクラスターを形成しながら日本型のモデルをどう構築するのかと言う大きな課題に対して,BT戦略大綱では次のような提案をしています.一番目の特色がバイオツール・バイオ情報産業とすれば,二番目は総数が200にもなる具体的な行動計画でしょう.この行動計画を見ればどの省庁が何をいつからいつまでに終了させるのかすぐわかるようになっています.たとえば経済産業省では全体のうちの74項目について担当しています.また研究開発につ
いては,総合科学技術会譲が司令塔になっています.三番目の人材関係では,今の約3倍ほどの人材が必要になってきます.その人材の確保には,大学数育だけではなく,社会人の教育や職種転換教育なども重要になってきます.また外国人にとって,日本での研究がしやすいような環境作りも重要です.
 バイオ医療産業の産業化にあたっては,薬価と新薬開発のための治験の問題があります.この治験というのは新薬などの薬効とか副作用を見るのが目的ですが,これはもうほとんどわが国では行われず海外で実施する医薬品メーカーが増えています.その理由にはいくつかあります.例えばわが国は国民皆保険制度ですから,治験等に協力しなくても治るのであればその薬が自分にも投与されるのだから進んで治験に協力しなくてもいいのです.アメリカのように国民皆保険制度のない国では,たとえば医薬品メーカーが「あなたの治療費は全額面倒を見てあげますから,この開発中の新薬をためして下さい」というスタイルで出てきますから,治験そのものがたいへん行いやすくなっています.しかし海外での治験例ばかりだと,わが国には新しい薬と病気の関係を示すデータがないということになりますから,新しく展開しようというバイオツール産業などは育たなくなってしまいます.ですからわが国はすすんでこの治験を行うように変革していかなくてはなりません.
 こういった新しい産業化については,国民理解の徹底浸透が不可欠です.またELSI(Ethical Legal Social Issue)予算,すなわち倫理的・社会的・法的な内容を検討する予算を研究開発費の1%程度プールしようという計画もあります.また遺伝子組換え生物が生物多様性に影響を及ばすことを避けるという観点から生物多様性条約のもと,「カルタヘナ議定書」というものができました.この内容の一つには,遺伝子組換えを行う場合には事前に開放系の場合には承認が,閉鎖系の場合には確認または基準適用いうことが義務付けられます.

まとめ

 2002年12月のはじめにこのBT戦略大綱が出され,バイオ関連の補正予算がついて,経済産業省においてはバイオツール・バイオインフォマテイクスへの重点投資が開始されました.その他バイオ・IT融合研究施設として,お台場に250億円投資することも決定しました.また現在,平成16年度の予算編成が始まっておりますが,BT戦略においてはゲノムネットワーク研究への進展とともにバイオツールやバイオインフォマテイクスを組みこんだジャパンモデルを構築したいと願っています.
 今までいろいろとお話してまいりましたが,バイオ戦略のジャパンモデルの中核をなすのはバイオツール・バイオ情報産業です.そしてこの産業に取り組むのは大手企業ではなく,まさにベンチャーなのです.そういった意味から今日ここにお集まりの若い方々にはぜひベンチャーに飛び立って活躍して頂きたいと思っています.
 どうもご清聴ありがとうございました.