1月1日「子どもたちへのメッセージ」(第一回)の収録を終えて

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新しい年が明け、1月1日より始まりました「子どもたちへのメッセージ」、この番組では青少年を取り巻く様々な課題を取り上げてまいります。
第一回ではパーソナリティーとしてこのラジオ番組への意気込みについて、「夜回り先生」としておなじみの水谷先生が夜の繁華街をパトロールしようとしたきっかけ、私自身も水谷さんと共に夜回りを体験し、教わったこと、そして夜の繁華街の子どもたちに私たち大人ができることとはどういうことなのか、とりあげました。

■番組への抱負
皆様、あけましてありがとうございます。参議院議員の浜田まさよしです。私自身、この原発災害の担当として福島に入り、そしてこの番組の企画を頂いたこともあり、番組を通じて高校時代の同級生でもある水谷さんと色々な問題、特に子どもたちの問題を考えていきたいと思っています。

子どもたちをとりまく環境は私たちの時代と比べて大きく変わってしまいました。インターネット、携帯電話、ドラッグなどその本当に大きな変化を単に昔と今とを比べるというだけでなく、自分たちとして、親の世代として、また水谷さんは教育者として、私は政治家として何ができるかをこの番組を通じて考えていきたいと思います。

そして水谷さんはといいますと、昨年の3月11日以降、震災復興支援にずっと動いていたとのことです。暗い気持ちでいた中、彼の元に嬉しいメールが届きました。以前面識があった気仙沼でリストカットに苦しんでいた中学生の女の子からでした。彼女自身震災に合い、家も津波に合って、避難所での生活の中でお世話になっていたお医者さんから誘われて医療班に入ったとのことでした。その活動を通じて人のために頑張る気持ちになれたというエピソードにとても元気をもらったとのことです。そして、東日本の人たちの笑顔のために動ければ、と今年の抱負を彼は語りました。

■夜回り体験で感じたこと
皆さんもご存じの通り「夜回り先生」である水谷さん、彼がどうして夜の繁華街をパトロールしようと思ったのか。

20年前、彼はある夜間の定時制高校に勤務していました。しかし当時の夜間定時制高校はひどく荒れていて、県内の不良たちが集まるような学校でした。そのような子どもたちの心を開いて話をするために始めたのが夜回りでした。彼らと人間関係を結ぶには彼らの居場所である夜の街を回るしかありませんでした。以来20年間、水谷先生は夜回りを続けています。夜回りの中で特に残っているエピソードとして、水谷さんは去年(2011年)の7月の講演に1人の30代前半の女性が来てくれて手紙をくれたお話を挙げました。弱弱しい字で書かれたその手紙は、10何年前に彼が夜回りで声をかけた少年からでした。反発しながらも、話しかけられ心配されたことがきっかけとなって、後に夜間の定時制高校に通うようになったこと、20代前半には工務店をつくったこと、水谷さんをTVで見つけて連絡を取ろうとした時には末期癌になっていたことが書かれていました。水谷さんは連絡をもらったのがうれしくて病院を訪ねていったようでしたが、残念なことに後に小さな子供と奥さんを残して亡くなったとのことです。

この20年間にどれだけ多くの子どもたちが水谷さんに声をかけられ希望をもらったでしょうか。私は3年前に横浜駅西口で初めて、後に伊勢佐木町でも水谷さんと夜回りを体験させて頂きました。まず驚いたのは水谷さんの辛抱強さでした。優しく話しかけ、二回目、三回目と顔を合わす内に子供たちがポツリポツリと本音を語りだす、その辛抱強さが実は我々大人、また日本の政府や政治家に欠けていたのだなと逆に水谷さんから教わり、反省させられました。

■周りの大人である私たちができること
水谷さんは、子どもたちに優しい目を持ってほしい、コンビニの前でたむろしている子供たちに一分でもいいから心配だなと優しい目でながめてあげる、それだけで変わると述べました。子どもたちの問題は子どもたちだけでは解決できない問題なのだと私自身夜回りを体験して実感しました。子供たちの問題を解決しようと思うなら、社会構造を含めた色々なことも一緒に変えなければ根本的な解決にはならないのではないでしょうか。

「子どもたちのメッセージ」は毎週日曜日17:25~40 ラジオ日本AM1422Hzで放送中です。(→番組ホームページ

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