新ハマダレポート Vol.21.ーリスクコミュニケーションについて対談(その2)ー

新ハマダレポート Vol.21. 2023.9.25

ーリスクコミュニケーションについて対談(その2)ー

 前回に続き、8月6日に開催された、高村館長(東日本大震災・原子力災害伝承館)と、リスクコミュニケーションを中心とした対談についての、ご報告です。

 2002年8月、中国は、日本産化粧品の輸入規制を急遽発表しました。2001年9月に日本で、BSEが発生しており、BSEフリーとの国家証明書がないと、検疫を通さないというのです。

 当時の日本産化粧品市場は、国内では1%も伸びないのに、世界向けは2桁、そのほとんどが中国向けという状況・・・。

 中国では働きに出た女性が最初に頂く給料で最も欲しい買い物が日本産化粧品でした。当時の中国の高級百貨店の1階の「最も売れる売り場」を占めていたのが、資生堂、鐘紡、コーセーといった、日本ブランドだったのです。

 但し、成分などはノウハウの塊の為、日本国内で精密に調合した上で、中国国内では、小分けパッケージングするという供給方法がとられていました。

 半年以内に輸入再開できないと、商品が供給できなくなり「最も売れる売り場」を明け渡さなければならないという状況の中、私は化粧品も所掌に含む経産省生物化学産業課長に、就任しました。

 当時、国際的には、化粧品からBSEが人に感染するという報告は一切ありませんでした。一方、中国の輸入規制の直前(2002年7月)、日本の厚労省が中国産ホウレンソウを、日本では使用禁止の殺虫剤クロロホスピスが検出されたとして、輸入自粛要請をしていたのです・・・・。

 外交的に非を争っているだけでは、実害は防げないと思い、私は、最終的には農水省・厚労省の協力も取り付け、経産省所管の製品評価基盤機構で化粧品原料のトレーサビリティ制度をスタートさせ、年末までに中国の輸入再開を実現することができたのです!

 中国がこの証明制度を取り下げたのは、5年後の2007年8月。単に科学的な議論に終始していては、今頃、「最も売れる売り場」は、どうなっていたでしょうか。

 2021年の日本の化粧品輸出額8000億円のうち、相手国は、中国4000億円(5割)、香港1500億(2割)と、この2か国が今でも大きな相手先となっています。

 2002年の夏、化粧品メーカー3社の技術陣と、徹夜で原料と中間品を突き合わせていく、トレーサビリティ表の作成に汗を流したことが、残暑の中で、懐かしく思い出されます・・・・。

 次回は、いよいよ、東日本大震災・原発事故後のリスクコミュニケーションに入ります!

 

 

 

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